【第378回】 帰納・演繹の合気道

前回の第377回『科学技術研究と合気道の稽古 〜帰納と演繹の稽古〜』で、「合気道でも、帰納と演繹両方の稽古が、いつまでも必要である」と書いたが、この帰納と演繹の稽古を、もう少し具体的に説明してみることにする。

合気道の稽古の基本は、道場での相対稽古による技の練磨を通じてやることになるから、まずは道場稽古をしっかりやらなければならない。しかし、道場稽古だけにしがみついていると、限界にぶつかるだろう。宇宙を目標にしているわけだから、道場の世界だけでは狭すぎる。道場の外の世界でも、その稽古が必須となろう。

開祖は「天地の真象を眺めて、そして学んでいく。そして悟ったり、反省したり、学んだりを繰り返していかなければいけない。要するに武道を修行する者は、宇宙の真象を腹中に胎蔵してしまうことが大切で、世界の動きをみてそれから何かを悟り、また書物をみて自分に技として受け入れる。ことごとくみな無駄に見過ごさないようにしなければいけない。すなわち山川草木ひとつとして師とならないものはないのである」(「合気真髄」)といわれている。合気道は、天地、宇宙、自然(山川草木)、世界、書物など等あらゆるものを師として学んでいかなければならないのである。

学ぶことが必要なことはわかるだろうが、ここでの学ぶということや、どう学べばよいかを、考えてみる必要があるだろう。

開祖がここでいわれる、学ぶこと、学び方は、いわゆる帰納であると考える。前回書いたように、帰納とは、多くの具体的な事実を総合して、一般(宇宙)法則を導き出すことである。谷川の流れ、山川草木、雷、台風、雲、空、人間、動物など等から、宇宙法則(一般=宇宙)を見つけていくのである。 そして、それを技で試し、身につけていくのである。つまり、演繹である。演繹とは、一般的な法則に基づいて、個々の問題を解決することであるから、この法則に基づいた稽古をしながら、問題を解決しながら技を精進していくこととなる。

開祖は「合気道は日々新しい天の運化とともに、古き武の衣を脱ぎ、成長達成向上を続け、研修しておる我々は、武の道を通じて天地の真性に学び、天地に同化し御姿、御振りを身魂に現わすべく誠の修行に専念しなければならない」ともいわれている。

世の中は、日々変わっていく。合気道の稽古の帰納も演繹も、変わっていくはずである。新しい天の運化に乗り遅れないように、帰納・演繹の稽古を通して、精進向上していかなければならない。

参考文献:「合気真髄」