【第370回】 数学と合気道

合気道は、一元の大神様の意志である宇宙楽園建設をお手伝いするものである。また、その完成を阻害するものを取り除く武を身につける武道であり、宇宙の真理を追究し、宇宙の条理・法則を身につけて宇宙と結び、宇宙と一体化することを目標とするものであろう。

しかしながら、宇宙の真理を追究しているのは合気道だけではない。合気道以外にも、というよりは、多くのものがその真理の追究に努めている。開祖がいわれているように、宇宙楽園建設のために、万有万物は分身分業で各自の務めを果たしていくわけだから、当然なことだろう。

最近の新聞で、ある数学者の大変興味がある記事『数学は神様の小説』を見たので、合気道との関係で考えてみたいと思う。

その方は小山信也東洋大学教授で、掲載されたのは日経産業新聞である。教授はある女子生徒に、「あなたにとって数学とは何ですか」という質問を受け、数学とは何かをじっくり考えて、下記のような結論を出したのである。

まず、教授にとって、数学は小説を読みふけって没頭しているときのように集中できるので、最も充実感を得られるものである。それなら数学ではなくて、小説でもいいのではないかと反問されると、「小説には著者の意図や作為が含まれているから、筋書きに論理的な欠陥や読者が納得いかない結末もあり得る」「数学は違う。解けない時は100%自分が悪い。数百年越しの未解決問題も、我々人類が至らないから未解決なのであり、数学の側に欠陥はない」「数学は神様の書いた完璧な小説だ。完璧だからこそ読者はあらゆる邪念を捨てて集中できる」と答えるのである。

これでいくと、合気道の技の練磨で技が効かないのは、神様(宇宙)がつくった技が悪いのではなく、技をつかう人が未熟なだけである、ということになるだろう。

次に、教授は「私にとって、数学は人生そのものではないが、全身を投じて取り組める相手だ。そして、そんな相手と出会える幸せはめったにない」とまでいっている。

合気道をやるものも、合気道に出会えて幸せだ、と思えるようになって欲しいものである。

さらに、「研究を始める動機には、社会からの要請もある。しかし、必要に迫られて後追いで実施するよりも、誰も想定できなかった恩恵をもたらすことが研究の醍醐味だ。その方がむしろ人類の発展につながる」という。

合気道でも、合気道を始める動機ははじめは護身とか健康とかであろうが、それだけでは満足できなくなってくるはずだ。それを超越して、人類の発展、宇宙生成化育につながるような稽古をするようにならなければならないだろう。

なぜ人類の発展につながるような研究をするのだろうか。教授は「それを生み出す源は真理に引かれる人間の本能なのだ」といわれる。

合気道では、宇宙にあるすべてのものは一元の大神に結びつき、宇宙天国建設を目指す、至善、至美、至愛である一元の大神の意志に導かれて生成化育をしている、といわれている。だから、人は大神に導かれ、宇宙の条理、真理に魅せられることになるわけで、それは本能といってもよいだろう。

最後に、「我々研究者は、純粋な探求心で真実を嗅ぎわける努力を怠ってはならない」と語っている。

合気道の修行も、まさにそうだろう。純粋な探求心をもつためには、物質文明ではなく、精神文明での探求、つまりものや力に偏らない、心とのバランスをとった稽古をしなければならないということになろう。開祖がいわれるように、魂を魄の上にし、魂(心)で魄(体)を導くようにすることである。

数学の世界でも、究極的には真理の探究になるので、純粋な心にならなければならないということであるが、我々合気道家も心すべきことだろう。

参考文献 「Techno Online 数学は神様の小説(東洋大学教授 小山信也)」 (日経産業新聞2013年4月16日掲載)