【第366回】 吾勝(あがつ)

合気道は相対で技をかけあいながら修練していく武道である。だが、初めのうちはどうしても相手を意識して、負けないように、何とか倒そうと技をかけるものだ。技がきまって相手を倒したり、きめたりすると満足し、技がきまらなければだめだと思ってしまう。

このような稽古を長年続けて行けば、それなりに力はついてくるし、体もできてくるだろう。倒せる相手も増えて、倒せない相手は減ってくることになる。

このような稽古もいいだろうし、必要だと思うが、ある時期でこの稽古法を変えないと、必ず壁にぶつかることになるはずである。

そこで、壁にぶつからないためにはどうすればいいかを、考えなければならない。できてしまえば容易なことに思えることでも、何かを変えることは面倒なものである。今までの考え方ややり方を変えるとは、質の大転換を計るわけであるから、そう簡単にはいかないだろう。やはり勇気がいるものだ。

では、壁にぶつからないために、どのような稽古をしなければならないか、ということである。それは、一言で言えば「吾勝」の稽古である。かの有名な「正勝・吾勝・勝速日」の内の「吾勝」である。

吾勝とは、自分に負けない、自分に勝つということである。つまり、稽古を相手ではなく、自分との闘いにし、さらに、相手ではなく、自分に負けないようにしていくことである。

もちろん、相対で稽古していくわけであるから、相手はいる。しかし、「相手はいるが、相手はいない」という稽古をするのである。つまり、相手は倒す対象ではなく、自分の協力者であり、自分の分身となる。相手と結べば一体化できるから、自分と一体となり、1+1=1となるのである。

相手が倒す対象でなくなれば、技の対象は相手ではなく、自分自身ということになる。自分の一挙手一動足が技として出てくると、稽古は自分との戦いになる。稽古をしてくれる相手は、かけた技の結果を示してくれるバロメーターとなるから、相手を見れば、自分の技の良し悪しがわかることになる。そうすれば、相手をありがたいと思うようになるはずである。

「吾勝」の稽古で、自分に勝つ、自分に負けないというのは、常に自分のレベルアップを計ること、自分に挑戦することであろう。

また、気持でも体の動きでも、自分から逃げないことである。例えば、腰を引いたり、後ろに下がってしまうことなどは、自分に負けていることになる。

道場で「吾勝」の稽古をしていけば、また、できるようになれば、日常生活においても「吾勝」で生きようとするようになるだろう。他人や物を対象にするのではなく、自分との闘いとなるだろう。「他人はいるが、他人はいない」ということになるのである。

さらに、「吾勝」で最も重要である挑戦することにもなる。吾に勝たなければならないという、最も大事なことである。天の使命に勝つ、自己の使命に勝つ、ということであろう。

開祖は「合気道は、人に勝たんがためならず、・・・自己に与えられたる天の使命に、自己の使命が打ち勝つことである」といわれている。

天の使命に勝つ、自己の使命に勝つことができれば、真の「吾勝」ということになるだろうし、真の合気の道ということになるだろう。

参考文献  「光と熱とを体得し、真人に完成せしむ」(『合気真髄』)