【第344回】 イメージと感覚

合気道は、始めるのは容易であるが、卒業するのは難しいものである。というよりも、卒業はないといったほうがよいだろう。

合気道を始める動機や目標は、人それぞれで違うだろうが、その目標が完全に達成されることは難しいだろう。合気道の修行は、その目標に達成するかどうかではない。どこまでそれに近づけるか、ということである。

合気道開祖がつくられた合気道の目標は、大局的には宇宙楽園、地上天国への生成化育のお手伝いであり、そのために合気道の稽古を通して、各人が自分の使命を果たすことである。

各自の合気道修行の目標は、宇宙との一体化であるという。そのために、合気道を稽古しているわけであるが、宇宙との一体化のためには、どのような稽古や学習をすればよいのかが難しいわけである。

宇宙との一体化のための稽古法と学習法は、開祖が言われたことと書き残されているものしかないだろう。しかし、開祖から直接お話をうかがっている方は存命者では少ないだろうから、ほとんどの稽古人は、開祖の書き残された書籍で勉強し、会得していくしかない。

それは、『武産合気』『合気真髄』である。これは、合気道の聖典といえるだろう。従って、この聖典を読めなくては、合気道が会得できないし、合気道の目標達成、つまり宇宙との一体化もできないと考える。

しかし、これらの合気道の聖典を読みこなすのは容易ではない。誰もが読もうと挑戦しただろうが、たいがいは挫折していることであろう。 これらの聖典では、十字、△○□、、イザナギ・イザナミの神等など、我々が通常知らないシンボルや古事記の神様の名前が頻繁につかわれている。また、天之浮橋とか言霊など、体で感じなければ理解できないことなども頻繁にでてくるのである。

合気道を会得するためには、これらの聖典を無視することはできないであろう。聖典を読みこなし、そして、それを稽古で技に体現できなければならないだろう。

まず、聖典を読みこなすためには、聖典に出てくるシンボルを読み取らなければならない。シンボルを理解するためには、イメージを膨らませなければならないだろう。想像と仮定で、これはこういう意味だろうと、自分なりのイメージを持つのである。そして、その想像し仮定したことを、技で試すのである。

例えば、である。手など縦から横にすれば十字になり、○になる。これを技につかえば確かにうまくいくから、技は十字にそして円く()つかえばよいことがわかる。それで、はこのイメージでよいといえることになる。

この他にも、△○□、、等などのシンボルのイメージを膨らませ、技に生かしていくことである。

また、天之浮橋、イザナギ・イザナミの神の十字と螺旋、円の動きの内外等などをイメージすると共に、体で感じられるようにならなければならない。それには、体が敏感な感覚を備えられるように、心がけなければならないだろう。

これらのシンボルに関しては、拙論中に独断と偏見で解釈し、紹介している。

開祖がよく言われていたように、合気道も科学しなければならない。科学とは、発見や仮定をし、それを実験・分析し、さらに検証し、最後に応用・利用・活用することである。合気道もこのプロセスはほぼ同じであるが、合気道の場合は、体を使って実験し、検証することになる。

そのためには、科学的な稽古をしながら、自分のイメージを膨らませ、感覚を敏感にしていかなければならないだろう。