【第328回】 空の気・真空の気

合気道は引力の鍛錬であるともいわれるから、相対稽古で技をかける際は、相手の接点をくっつけてしまい、そのくっつきが離れないように、稽古していかなければならない。相手に手首を持たせても、その相手の手が離れてしまうようでは、まだまだ引力が弱いことになる。

相手と接したら、相手が離れようとしても、離れることができないようにならなければならない。だが、相手に触れていなくとも、相手とこの見えない引力で結んでいなければならない。つまり、相手と対峙した瞬間には、相手と結んでいるのである。

この相手をくっつけ、結ぶモノは引力である。この引力は、重い力をもつ「空の気」であるといわれる。開祖は「空の気は引力を与える縄」であるといわれている。武道の達人の傍にいたり、腕の立つ師範や先輩の前に立ったり触れたりすると、この重さや引力が感じられるだろう。

先ずは、この空の気をもって技の練磨をし、引力を養成していかなければならない。しかし、いつまでもこの空の気にしがみついているわけにはいかないのである。大事なことを学んだら、それを今度は忘れろというのである。これも合気道のパラドックスである。

合気道の稽古では、正面打ちや横面打ちからの体さばき、そして太刀さばきなどの早業がある。これができるためには、この重い空の気、つまり引力から解脱しなければ、自由にさばくことはできず、早業もつかえない。早業をつかうためには、「空の気」を解脱するとともに、「真空の気」に結んで技を生みださなければならないのである。

それでは、「真空の気」とはなにかということになるが、開祖は、真空の気を、
― 宇宙に充満している。宇宙の万物を生み出す根元。
― 宇宙のひびきの中の空(真空)に技を生みだしていかなければなりません。
などと言われている。このようなことから、「真空の気」とは宇宙生命力、宇宙エネルギーということではないかと考える。

早業をつかうためには、空の気を断ち切らなければならないわけだが、それを断ち切るのは容易ではない。相手を見たり、相手との接点を見たり、見ないまでもそこに気持がとらわれたりしては、空の気から逃れられないのである。この空の気から完全に解脱するためには、この空の気より強力なものと結ぶことである。それが、宇宙の生命力で身の回りに充満している真空の気ということになる。

真空の気に結ぶとは、この周りに充満している真空の気を吸いこみ、宇宙の法則に則って技をつかっていくことのようだ。