【第327回】 過現未が一身にある

人の一生とか寿命は100年足らずであり、宇宙137億年という長さに比べたら、あっという間もない短さである。宇宙が悠々と生成化育しているのに比べ、人は忙しく生き、そして死んでいく、を繰り返している。

人は自分から望んだわけでもないのに、この世に生まれ、学校や社会で忙しく働き、そしていずれは必ずあの世に行く。生きていることに、喜びを感じることができないでいる人も少なくない。しかし、多くの人間は生まれたことに感謝し、精一杯生き、少しでも長く生きようとしている。これは人間の本能というものであろう。だから、いずれ死ぬことが分かっていても、一生懸命生きようとするのには、重要な意味があると考える。

自分でも他人でもいいが、人間をじっと見ると、不思議に思え、感動を覚える。なぜならば、自分、またはその人がここにあるのは、親がいて、親から生まれてきたわけであるが、その親もその親の親から生まれ、その親の親もその親の親のその親から生まれ、と営々と続いている。おそらく、数百万年前に遡ることになるだろう。

しかし、人類がひょっこり出現したわけではないのだから、さらに類人猿、猿、哺乳類、魚類、菌類、・・・・分子、原子、・・・ビッグバン、ポチに繋がっているはずである。

つまり、人間は誰もが例外なく、このポチ、合気道でいう一元の大神様と繋がっているわけである。だから、誰もが身の中に現在だけではなく、過去ももっていることになる。

人の身の内には、先人だけでなく、先物が培った経験や知恵や意思などがあるはずである。というより、人は先人と先物からの遺産の上で生きている、ということになるだろう。

また、人が受ける遺産として、親からポチに繋がる縦の系統からだけではなく、縦の系統とは十字である横の系統からも、多くを得てきたはずである。例えば、自分もそうだが、周りの人や物から多くのことを学んでいるわけだから、親も、その親も・・・類人猿、魚類、・・・も、出会いのあった他から、多くのことを学んだはずである。

確かに、人は何かに向かって進んでいると思える。少しでもよくしよう、そして少しでも楽しく美しくしよう、としている。どの民族、いずれの時代でも、同じであろう。これは宇宙の意思であろう。

合気道では、その宇宙の意思に従って生きていかなければならないと教えられている。つまり、人は宇宙完成の未来と繋がって生きていることになる。

人間は現在に生きているが、過去と未来も自己の体内にあるわけである。これを開祖は、「過現未は宇宙生命の変化の道筋で、すべて自己の体内にある」(「武産合気」)と言われている。

人間の一生はほんの100年ほどではあるが、137億年の過去の時間、そして、これからどれだけ続くか予想もつかない長い未来の時間、つまり永遠の時間を持ち合わせていることになる。開祖は、「人間の生命も始めなく、過現未を一貫して生通しているのであります」(「武産合気」)と言われている。

人間は過去の人と物の遺産を土台に生きているのだから、今度は各自が後進(子供や若者たち)に、少しでも宇宙が希望しているような遺産を残すべく、つとめなければならないだろう。

参考文献  『武産合気』(高橋英雄編)