【第323回】 「うぶす」の社(やしろ)の構え

合気道は、宇宙の条理の法(のり)を道として学ぶものである。宇宙の法(営み)を身につけていくことによって、宇宙との一体化を図ろうとするわけである。その法に逆らったり、反することをやれば、技を身につけることができないだけでなく、体を痛めることにもなる。これは、大いに注意していかなければならない。

合気道では、まず「天の浮橋」に立たなければならないといわれている。「天の浮橋」ということは、片寄りがないことである。片寄りがないということは、まず、立つ左右の足にかかる体重が均等であることである。注意しないと、右か左かにより大きな体重がかかってしまう。立っているとき、歩を進めるとき、多くの場合は左足にかかってしまうようだ。

次に、足を下ろす際に、ドンと下ろさずに、雲の上を歩むように下ろすことである。ドンと下ろせば、上下に片寄りができてしまうことになる。ドンと下ろさず、スーッと下ろすためには、足と腰腹が結ばれていなければならない。足を下ろすのではなく、腰腹で足を操作するのである。

そして、もうひとつ、天の気(宇宙エネルギー)による天の呼吸と地の呼吸に合わせた立ち方、動き方をすることである。天の気や天地の呼吸に合わせないまま、立ったり動いたりしても、宇宙の目から見ると、宇宙から孤立していることになり、片寄っていることになるはずである。

開祖は、片寄りがないことが「天の浮橋」である、といわれている。「左足を軽く天降りの第一歩として、左足を天、右足を地とつき、受けることになります。これが武産合気の『うぶす』の社(やしろ)の構えであります。天地の和合を素直に受けたたとえ、これが天の浮橋であります。片寄がない分です」といわれている。(「合気真髄」)

片寄らないためには、この「うぶす」の社の構えを取らなければならないだろう。左足は天、右足は地となり、天に向かうもの(相手や得物)は左で、地に向かうものは右で操作することになる。

開祖は、左足を下ろした後、右足を踏み、この右足は自転公転の大中心であるので動かしてはならない、そして左足は千変万化で、これによって体の変化を生ずるのだと言われている。また、左手で活殺を握り、右手で止めをさすのである。

右足を中心として、むやみに中心を乱さぬようにしたまま、左を働かし、最後の止めを右でいつでも決められるようにすべきだろう。

しかし、合気道は右だけではなく、左側の稽古もするので、左側の場合もこの法に当てはまるのか、また、左利きの人もこの法に則らなければならないのかどうか、まだよく分からない。だが、基本的には人間は変わらないので、心臓が左にあれば、この法に則らなければならないのだろうと考える。