【第318回】 天の浮橋と三千世界一度に開く梅の花

合気道の相対稽古で技を使う場合は、まず天の浮橋に立たなければならない。開祖は、「合気道は、天の浮橋に最初に立たなければならないのです。天の浮橋に立たねば合気は出てこないのであります。」と言われているのである。

技を使う場合は、相手と結んでひとつにならなければならない。そのためには、魄(肉体)と魂(精神)の調和のとれた十字の姿でなければならないし、相手をやっつけようなどと敵対せず、相手も自分の一部になるようにしなければならない。

天の浮橋に立って技を使うようになると、心(魂)が肉体(魄)を先導するようになる。これが、魂が表に出るということである。つまり、開祖が言われていた魂を表に出すためには、天の浮橋に立たなければならないことになる。天の浮橋に立てなければ、魄の腕力や体力に頼った稽古からは抜け出せない。

天の浮橋に立つということは、「三千世界一度に開く梅の花」ということであるという。三千世界というのは、仏教の世界観による広大無辺の世界であるが、過去と現在と未来、そして神界と幽界と顕界など、すべての世界を網羅した世界であろう。とは、天の浮橋のことであるという。

「三千世界一度に開く梅の花」の意味は、三千世界で魂が表になる天の浮橋に立つということ、つまり「丁度、十字の姿、火と水の調和のとれた世界、つまり魂の世界になった、神代の世界になったということ。」(「武産合気」)である。

合気道の技の練磨を始めるにあたっては、まず天の浮橋に立たなければならない。ただ、これまでは、相手と一体化するために必要であると思っていた。だが、「天の浮橋に立つ」には、もっと深い意味があるようだ。

合気道は日常とは違う別世界・別次元のものである。目に見える世界である顕界だけではなく、見えない幽界や神界にも遊ぼうとしているし、現在だけではなく、宇宙ができる世の発兆を見、また宇宙がなそうとしている宇宙生成化育のお手伝いをするものである。

「三千世界一度に開く梅の花」とは、地球修理固成の祈りの御名であり、天ができる一番初めの世の発兆であると言われる。つまりすべての始まりであり、起こりである。これが第一の岩戸開きであり、今、第二の岩戸開きをしなければならい時になったといわれるのである。合気もこれから始めなければならないのである。

三千世界を開くためには、天の浮橋に立なければならない。天の浮橋に立って、禊の稽古をしていくのである。これを、魂の比礼振り、また法華経の念彼観音力で行うのである。つまり、天の浮橋に立って禊の稽古をしていくと、魂の比礼振りが出てくるということだろう。そうすれば、現代にありながら、過去も未来も観ることができ、見えない幽界や神界も観えるようになるのではないだろうか。

これを、開祖は「三千世界一度に開く梅の花」の中に、「現在を永遠の内に宿し、永遠を現在の内に宿して一行一動、神誓神力を発揮して不窮の行為が、永遠不窮に受け保ちいくのである。過去、現在、未来を通じて、永遠にひびく終焉の一語の中に、不窮の大意義があり」という教えがある、といわれているのである。

天の浮橋に立って、三千世界に一度に梅の花を咲かさなければならないだろう。天の浮橋こそが、時間と空間、つまり宇宙への入り口ではないかと考える。