【第301回】 技の法則性

合気道は技の練磨を通して精進していくのであるから、練磨する技のことを知る必要があるだろう。

合気道の技は、何度も書いているように、宇宙の営みを形にしたものである。宇宙は137億万年前に一つのポチ(一元の本)から精神と物体の二元に分かれ、上下四方、古往今来の万有万物をつくり出してきた。この宇宙経綸のためには法則があるはずである。それを宇宙の法則という。

もし宇宙に法則がないとしたら、今のような完璧な宇宙と宇宙が生み出した万有万物はないか、違ったものになっているだろう。法則性があるから、人類も生物も生きていける。もし、人がそれぞれ異なった数の手や足や頭(異なった数の目鼻口耳)をもったり、朝がくるところを夜のままだったり、夏がくるところに冬がきたり、宇宙が気まぐれで非法則性で営んでいたら、人類は今のように快適には生きていけないだろう。

従って、法則性がある宇宙の営みに則った合気道の技には、法則性がなければならないはずである。法則性のない稽古をしても、単なる形もどきの稽古になってしまう。それでは技ではなく力に頼ることになり、争いのもとになって、宇宙経綸に反することになる。

しかし、合気道の技に法則性がなければならないことがわかっても、法則性を有する技をどうつかえばいいのかが難しいかもしれない。

まず、最初の難題は、無限であるといわれる宇宙だから、無限の法則があるはずなので、とてもそれを会得するのは不可能であると考えることである。

確かに、一人の人間が宇宙のすべての法則を見つけ、会得することはできるわけがない。無限にあるのだから一つでも多く会得する努力をする意義があるといえる。誰でもできるようなことは、挑戦する必要はない。人は死ぬことが分かっているからこそ、一生懸命に生きているのと同じだろう。

一つづつ宇宙の法則を、技を通して見つけていき、そして技で試し、試行錯誤しながら、技の鍛錬を弛まずに続けることが、重要であり意義がある。後は、後進が引き継いでくれるはずだから、数年後、数千年後、数億年後には更に多くの宇宙の法則が見つけられ、技に取り入れられていくはずである。

次の問題は、どうすれば法則性を有する技がつかえるようになるかということだろう。

前述のように法則はたくさんあるわけだが、人はあれもこれも一緒に求めることはできないので、一つづつ身につけていくしかない。これが法則と思えるものを、合気道の技(形)の中で試し、練磨するのである。その法則が正しいかどうかは、自分で判断していかなければならないが、受けを取ってくれる相手が協力してくれる。

判断の基準は合気道が探求する「真善美」である。美しく 無駄がない 嫌味がない 受ける側も気持がいい、違和感がない 説得力がある技であれば、法則に則っているといえるだろう。

法則性を感じやすい一つの稽古法を例にあげる。足を左右交互に規則正しく使う稽古である。一番分かり易いのは、「一教表」と考えるので、まず「一教表」から始めればいい。正面打ちでも片手取りでもよい。

撞木の半身(右半身)で立ったところで、まず後ろ足(左)に重心を乗せ、そこから重心を前足(右)、そして左―右―左(膝)―右、右(膝)を支点にして左足に重心を移動して立ち上がる。つまり、重心は右左の足に規則正しく交互に移動するのである。

長年違った体使いをしてきたはずなので、すぐにはできないだろうが、繰り返し稽古をすることである。できるかできないか、どれだけできるようになるか、どれだけ早くできるようになるかは、やる気と努力と能力を掛け合わせたものによるだろう。

「一教表」でこの体重移動ができたと思ったら、「一教裏」で試してみればよい。足が左右交互につかえれば、うまくいくようになるだろう。もちろん、技が効くためには、足だけでは足りないから、うまくいかないかも知れない。しかし、法則性を感じるはずである。

「一教裏」でも、足が法則性に則って動くようになってくれば、他のすべての技(形)でできるようにしていかなければならない。法則に自分をはめ込んでいくのである。技は使うものではなく、技に自分を入れ込んでいくのである。

今までどうしてもうまくいかなかった技(形)でも、法則性をもった足をつかうと、うまくいくことになるだろう。例えば、「二教裏」など、その典型である。

「二教裏」が一寸頑張られてうまく効かない場合の大きい原因は、足が右左交互に規則的に動かず、足への重心が正しく移動しないために、体重が十分つかえないためであるといえる。「一教裏」「入り身投げ」「天地投げ」等などでうまくいかない多くの場合は、足の法則性が欠けているのが原因といっていいだろう。

もちろん、足を規則的に左右交互につかえば、技はうまく効くということではない。足づかいの法則には、ナンバ、撞木、一軸移動、足の表を使う、足のアオリなどなどあるわけだから、それらができないと、相手によってはできない事もあるはずである。一つ一つ身につけていくしかない。先ずは、足を左右交互に、規則正しく使う稽古から始めるのがよいだろう。そのように使うように、宇宙は我々の足をつくってくれているはずである。