【第292回】極意の稽古は表(道歌6)

合気道の稽古は相対で、左と右、表と裏と技の形を4回繰り返して、取り側が技を掛け、受け側が受けを取っていく。表というのは、おおざっぱにいうと、自分の立ち位置から前へ前へ進み出て仕掛ける技法、裏は相手と接したところから相手の力を流し、転換して仕掛ける技法をいうことになろう。

技の表と裏の難しさは技により、また人により多少の違いはあるかも知れないが、一般的には表の方が難しいはずである。ふだんは表が難しいなどとは考えないで、何となくやり、はっきり区別していないようだが、意識してやってみると、表の難しさがわかるはずである。

基本技で表の難しさを見てみると、一教、二教、三教、入り身投げ、回転投げ、天地投げ等は、表をきっちりやるのが難しいものである。これらの技は、裏の方が断然やりやすいはずである。

表はなぜ難しいかと考えてみると、表は前に進んで行く技法なので、気持と肉体が相手とまともにぶつかってしまい、相手を頑張らせたり、自分の動きを止めてしまう危険性があるからである。

ちなみに裏は相手と接したところから転換し、相手の力を流すので、表ほど力をつかわなくてもよいだろう。そのためか、人は表ができないときや、好きに技をやる場合には、裏をやりがちであるか、裏っぽい表をやるようである。

合気道の技は表と裏があるが、主(しゅ)になるのは表である。しかし、表は確かに難しいし、大変である。大変というのは、体を裏より多く動かしてつかわなければならないということである。重心は左右の足を規則的に移動しなければならないし、体を十分に面で左右に転換しなければならない。

裏の場合は、これが多少甘くても何とかできるようだが、表はそれが厳しい。例えば、その典型的な技として入り身投げがあるが、腰が十分切れて、腰が手と足と一緒に動かなければ難しい。一教の表、二教の表、三教の表も同じである。これらの技の表ができれば、裏もできるはずだが、裏ができても表ができるという保証はない。

表が主であり、大事であるというのは、私が独善的に言っているだけではない。開祖が言われているのである。

開祖は、
教には 打突拍子 さとく聞け 極意のけいこ 表なりけり
(試訳:教えには、打ったり突いたりしてくる拍子をよく聞きなさいとあり、それも大事だが、極意の稽古は表である)

と道歌で詠われている。極意の稽古は表なのである。難かしい表から逃げずに挑戦していくべきだろう。