【第284回】 道 歌

わが国の武道の多くで、古来よりその奥儀や教えが三十一文字の道歌に伝えられている。奥儀であるから、難解ではあるが、その意味がわかった時は感銘を受ける。道歌だからこその感銘であろう。いかに詳細に文章で説明しても、その感銘はないだろうし、またその真髄を把握するのも難しいだろう。簡潔な道歌という詩的表現だからこそ、直感的に道の奥儀を伝えやすいのだろう。

道歌は、道を究めた先人が、厳しい修行、貴重な経験、天才的な閃き、摩訶不思議な体験などを、簡潔に道歌に圧縮したものであるから、我々後進の心を打ち、その境地やレベルに近づくべく、さらなる修行の励みとなるのだろう。

武道の達人、名人は、多くの歌(道歌)を残している。合気道開祖植芝盛平翁も、道歌をたくさん残されている。しかし、その多くは難解である。

なぜ理解できないのかは、明白である。読み手の我々が、まだ未熟でありレベルが低いからである。一つでも多く分かるようにさらに修行して、レベルアップを図っていくしかないが、そのためにも、道歌にいわれていることを目標にし、また守って稽古すべきだろう。

開祖の道歌のいわんとすることを目指して、稽古をすればよいわけだから、まずは道歌がいわんとすることを見つけなければならない。

合気道の最終目標は宇宙との一体化ということであるようだが、そこに到達するためには、合気道とは何かという思想面でのレベルアップ、練磨する技のレベルアップ、そして正しい修行が必要であり、それぞれの極意が欲しいところである。

そこで、開祖の道歌を、思想、技、修行法というテーマで分けて見たいと思う。テーマ毎で求める極意の意味は、次のように分けることもできるだろう:

  1. 思想:合気道とは何か。合気道の目指す道はどこにあるのか。どうすればその道を進めるのか。
  2. 技:どうすれば技がうまくなるのか、技をどうつかえばいいのか。
  3. 修行法:どのように修行すればいいのか。
いくつかの道歌を独善的に選んで、上記のテーマで分類してみる。
  1. 思想:
    ○ありがたや伊都とみづとの合気十ををしく進め瑞の御声に
    ○声も見ず心も聞かじつるぎわざ世を創めたる神に習ひて
    ○合気とは解けばむつかし道なれどありのままなる天のめぐりに
    ○武産は御親の火水(いき)に合気してその営は岐美の神業
    <解説>合気道は十字の道であり、宇宙の営みを形にしたものであるというのが、合気道の思想の根本であるということだろう。
  2. 技:
    ○太刀ふるひ前にあるかと襲ひ来る敵の後に吾は立ちけり
    ○右手をば陽にあらわし左手は陰にかえして敵をみちびけ
    ○教には打突拍子さとく聞け極意のけいこ表なりけり
    ○真空と空のむすびのなかりせば合気の道は知るよしもなし
    <解説>入身転換、陰陽、表技が重要、真空の気と空の気等が技の極意であるということであろう。
  3. 修行法:
    ○又しても行詰るたびに思ふかないづとみづとの有難き道
    ○世の中を眺めては泣きふがいなさ神の怒りに我は勇みつ
    ○合気とは筆や口にはつくされず言ぶれせずに悟り行へ
    ○つるぎ技筆や口にはつくされず言ぶれせずに悟り行へ
    <解説>修行しているとくじけることもあるが、道はあるし、導きもある。迷わず淡々と目標に向かって修行しなさいということだろう。
道歌は極意を詠んでいるのだから、3つに分類したとしても、すべて極意である。それが証拠に、この道歌のひとつでもそれに反したことをやれば、うまくできないだろうし、合気之道は進めないはずである。

道歌は頭で理解しようとしても理解できないか、難しいはずだ。道歌は、感じなければならない。道歌を作った人の心に、感動し共鳴できなければならない。