【第283回】 精神と物質と一如

開祖は「合気道は形はない。形はなく、すべて魂の学びである。」(「合気神髄」)といわれているが、これは確かに合気道の一面であろう。

開祖はまた、合気道を己の心を宇宙万有の活動と調和させる鍛錬、といわれている。あるいは、己の肉体そのものを宇宙万有の活動と調和させる鍛錬ともいわれ、魂だけの学びではなく、肉体(魄)の学びでもある、といわれている。

人は魂や心だけでは生きていけない。肉体が必要であり、重要である。魂を入れる器が必要なのである。

人が生きていくためには、この他にも、肉体のために衣食住が必要になる。そして、衣食住を確保するためには、お金が要る。従って、合気道で魂を学ぶにしても、経済も大事である。

開祖も、経済も大事であると常々いわれていた。合気道の稽古をしても、己の仕事を一生懸命にやり、社会のためにならなければならない、といわれていた。「世の中はすべて根本は経済であります。経済が安定して始めて、そこに道が開けるのであります。」(「合気道新聞」)といわれているのである。

確かに、経済的にうまくいっていなければ、生活もままならないだろうし、稽古に来ることもできない。経済が安定してこそ、稽古ができるのである。

経済は大事であるが、それが生きる目的になってしまうのはだめだし、また、金や物の物質を追い求めるだけの経済ではだめで、精神が伴わなければならない。金さえ獲得できればよいとばかりに、自分の真の気持を無視したり、他人を悲しませたり、不幸にするのはまずいだろう。他人を悲しませたり、迷惑をかけるだけではなく、自分自身もだめにしていく。

金を得るのは、相手や先方に喜んでもらった結果の報酬ということにならなければならないだろう。

開祖は、さらに「我が国の経済は精神と物質と一如であります」、つまり経済は精神と物質が一体でなければならない、といわれている。

金やモノを持つ者は、それに見合った豊かな精神を持って欲しいものだ。豪邸から貧相な顔立の住人が出て来るのを見かけたり、高価な衣装で着飾った人が陳腐な会話をしているのを聞くと、がっかりする。

確かに人も、また社会も、経済の上に成り立っている。しかし、経済の根本にあるのは、愛ということではないだろうか。愛とは、相手の事を考えることといえる。愛の欠けた経済は、いずれ破綻することになるだろう。武道も同じで、愛が欠けた武道はいずれ滅びるはずである。

経済も武道も、精神と物質、心と肉体の一如であり、その根底には愛がなければならないということだろう。

参考文献  合気道新聞 (昭和25年4月14日の例会での開祖のお話)