【第257回】自分の動きの中に相手を巻き込む

合気道は相対稽古の相手と技を掛け合って精進していくが、どうしても相手を倒すことが目的になってしまう。そして、相手が倒れれば技が効いたと満足するようだが、倒された受け側は多くの場合、満足して倒れていないようである。効いていないけれど受けだから倒れたとか、引っ掛かって痛いから倒れたとか、先輩だから倒れてやったなど、倒れても真から満足はしていないのである。

合気道では相手の体を倒すだけでなく、相手の気持も真から参ったと思わせなければ、技が本当に効いたことにはならない。これを開祖は「真の合気道は、相手を倒すだけでなく、その相対するところの精神を、相手自らなくすようになさなければならないのである」(武産合気)と言われている。

それでは、相手が真から参ったと思うためには、どのような「わざ」(業と技)を遣わなければならないのか。一言でいえば、自然であるということだろう。相手を投げようとか、きめようとかしたり、力んだり、意気込んだりして遣う「わざ」には、受けの相手は真から納得してくれないはずである。

なぜならば、合気道の技は宇宙の法則に則っているわけだから、そのような不自然な「わざ」は宇宙の法則に逆らっている訳で、受け側はその不自然さを意識または無意識に感じるのである。手先などの末端部位を攻めたり、受けの相手と向かい合う体勢になったり、両足が揃って居着いたりすると、真の技は掛からない。無駄があって美しくないし、不自然で、宇宙の法則に合っていないからである。

技を掛けてうまくいかない原因にはいろいろあるが、そのひとつに相手を倒そうとするあまり、力で押したり引っ張ったりする他に、相手の周りを回ってしてしまうことがある。これでは、相手に翻弄され、自分の中心を失ってしまう。

技を掛けるときは、相手に捉われず、まず自分自身が宇宙(自然)の法則に則って動かなければならない。体と息を拍子に合わせ、水火、十字、陰陽等に遣うのである。例えば、自分と相手の共通の円の接線から自分の円をつくり、その円に相手を引き込むのである。四方投げ、入り身投げ、回転投げ(抑え)などはその典型的な技である。

この円に陰陽の動きを加え、相手の腕を抑えている手と体を右・左・右下(又は左・右・左下)に振れば、相手の手は、自然と腹の下に巻き込まれるはずである。二教裏はこの典型的な円の動きであろう。

法則に則って体を遣えば、受けの相手はこちらの動きの中に巻き込まれるはずであるし、巻き込むようにならなければならないだろう。

受けの手首や相手の部位を攻めるのではなく、自分の動きの中に相手を巻き込んでいけるようにしなければならない。法則に則った動きには、相手の体だけではなく気持もついてくるものである。そうすれば、相手は相対するところの精神を自らなくして、真から納得してくれるだろう。