【第243回】 技の技

合気道は技の練磨をしながら精進していくが、練磨する技とは何かを把握していないと、練磨もできないし、合気道の精進もないことになろう。技とは何か、開祖は技をどのように捉えられていたのかを研究してみたいと思う。

入門したころから、技とは「正面打ち一教」や「片手取り四方投げ」であると教えられ、それに何の疑問も持たないでやっていた。技を少しでも沢山覚え、技が少しでも効くように稽古し、技と心身を鍛練してきた。長年稽古を続ければ、技も覚え、心身も鍛えられることになる。

しかし、時間が経つと、体力があったり、力の強い相手には、技が通じないということが分かってくる。技というのは、体力や腕力を制することができるテクニック(術)であるはずなのに、それまで稽古をしてきた技では、相手を制することができないのである。

そうすると、何とか相手を倒そうと力んだり、力ずくになったりするが、これまでの技が通じなくなる。そうすると、力をつければよいと思って筋トレをするとか、また人によっては、合気道の技は力がなければ駄目だと思ったりしてしまう。人によっては、それで合気道を止めていくこともあるだろう。修練してきたはずの技が効かないというのは、何か訳があるはずである。

それはここまでの技は技の型(形)を覚え、その型をなぞっているだけだったからだともいえるだろう。型だけでは、相手を制することはできないだろう。技には、もっと奥深いものであるはずである。技の型なら2,3年あれば誰でも覚えることができる。合気道の修行には終わりがないと言われるのだから、そんな2,3年で身に着くことなどを目的にやっているはずがない。練磨を続けるべき技は、技の型とは違うはずである。

以前にも書いたが、練磨すべき技は技を構成する技要素(要因)であると考える。合気道の技は宇宙の営み、宇宙の条理を形に表したものであるといわれるから、合気道の技、例えば、「片手取り四方投げ」は宇宙の営みである多くの技要素で構成されているということになる。技要素には、陰陽、むすび、螺旋、中心、十字、干満等などがあるが、ひとつの技には無数の技要素があるはずである。

技は、技要素、それも無数の技要素で構成されていといえよう。技の練磨とは、技要素を見つけて、身につけ、そして技(技の型)に取り入れ、自分の技の完成を図っていくことではないかと考える。

私が言うこの「技要素(要因)」は、開祖が言われている「技を生み出す仕組みの要素」(合気道新聞『円の本義』)であろうと思う。つまり、技要素は技の技ということになろう。

参考文献    合気道新聞『円の本義』