【第22回】 三元八力

合気道の稽古の真の目的は技の習得でも、鍛錬でもない。開祖は合気武術から合気道、そして武産合気へと変わっていかれた。そして、開祖が言われるには、「武産合気とは、究極的には"祈り"であって、宇宙の気を身体の中に受け入れて、地上天国の実現を祈ることにつきる。」といわれた。

合気道の次の段階として「武産合気」というものがあるわけだが、しかしながら、技の習得や鍛錬が合気道の真の目的ではないにせよ、合気道を修行し上達するのには必要条件である。それは、合気道の基本理念を理解することにある。

合気道における根本理念の一つに、「一霊四魂三元八力」があるが、今回はこの内、物質的働きをする「三元八力」について、合気道の技との関係で考察してみたいと思う。「一霊四魂三元八力」を理解せずには合気道の真の力が発揮できないといわれているが、霊的な働きをするといわれる「一霊四魂」の考察は後日にしたいと思う。

三元とは、剛・柔・流、固体・液体・気体、あるいは△・〇・□などと言われている。従って、合気道の稽古には、先ず、ガッチリした稽古、柔らかい稽古、そして流れるような稽古があることになる。これは、稽古の段階にもあるようだ。つまり、このステップを踏まないで、はじめから流れるような稽古をやっても合気道の習得は難しい。かってわれわれ稽古人が流れるような軽い稽古をしているのを開祖がご覧になると、必ず目を剥いて怒られたものである。

剛の稽古というのは、相手にしっかり持たせたり、打たせたりするのと、技を正確に使うことである。これが出来るようになれば、相手が力をいれても柔らかくさばくことができるようになり、流の動きになるだろう。そうなると、この流の動きの中には、剛も柔も包括されたものになるはずである。つまり、究極の技や動きには三元がみな入っていることになるし、△・〇・□がすべて含まれたものである。つまり、となる。

剛柔流の働きによって「八力」が生じるという。「八力」とは、「動・静・凝・解・引・弛・合・分」である。「動と静」「凝と解」「引と弛」「合と分」とあるように、「八力」とは対象力をいう。

従って、合気道で自分も相手も納得できる技とは、これらの対象力を持った技ということになろう。相手を動かしもし、制することもでき、相手を固めることも、不安定にすることもでき、引っ張り込むことも、緩めることもでき、一つになることも、離すこともできる、対象的な力からなる技である。対象力があるために接点はゼロの力となるので、相手をはじき飛ばしたり、逃げられたりすることもなく、また、相手に不愉快な思いもさせないのである。この対象力、つまり「八力」により、合気道は引力の養成であるといわれる所以であろう。また、この状態を「天の浮橋にたつ」というのではないだろうか。