【第210回】 一霊四魂三元八力

合気道の精進は、主に技を練磨する稽古をしていくものであるが、技の練磨をして目指すものの一つに「力」がある。しかし、この「力」は、肉体的パワー、いわゆる魄の力ではなく、合気道の本当の力でなければならない。

このためには、「一霊四魂三元八力」が分からなければならないと、開祖は言われている。開祖曰く、「一霊四魂三元八力や呼吸、合気の理解なくして合気道を稽古しても合気道の本当の力は出てこない」。今回は、合気道の本当の力を出すために、「一霊四魂三元八力」を考えてみたいと思う。

「一霊四魂三元八力」の一霊(いちれい)とは、直日(なおひ)ともいわれるが、開祖がよく言われている一元の神、大神である。
今ある見えるモノ、見えないモノは言うに及ばず、過去のモノも未来のモノも、すべてこの一霊に繋がっている。もちろん、自分自身も繋がっているわけである。まず合気道を修行するものは、このことを認識しなければならないだろう。

四魂(しこん)とは、一霊の4つの働きで、奇霊(くすみたま)、荒霊(あらみたま)、和霊(にぎみたま)、幸霊(さちみたま)とされている。人は一霊から、この四魂を頂いているのである。

魂とは魄に対するもので、心、精神、意識である。そこで、この四魂を合気道の稽古の心として考えれば、まず、相手をやっつけるなどと思わないで、相手を包み込むような大きな心、相手のことを思う愛の心、宇宙生成化育のお手伝いをするのだというような心をもつことであろう。この心を奇霊というと考える。これを開祖は、「天之浮橋に立つ」と言われていたのだろう。つまり、ここから稽古がはじまるわけである。

次に、技を遣うには、力とスピードとリズムが必要であるから、それを自分の極限まで導く心(意識、気持ち)を養わなければならない。これを荒霊というのだろう。荒霊は若いうちに養成しやすいだろうから、若いうちは精いっぱい、力一杯の稽古をするのがいいだろう。

和霊は、荒魂を自由にコントロールする心であろう。技を早くも激しくも遣えるが、それをゆっくりもやさしくも、自由に遣うことができる。和霊は、エネルギーの有り余っている若者にはコントロールが難しいので、荒霊を出し切るか、またはある程度年を取ってこないと和霊を遣うのは難しいだろう。

そして最後は、奇霊、荒霊、和霊がひとつになって幸魂となる。これで合気の心、精神、意識が出来たことになり、あとはこれを更に練り上げていけばよい。

三元とは、流、柔、剛に合気道では気を加えたものをいう。三元の元は、四魂の魂に対応する魄と考える。従って、三元とはモノの状態をいうものと考える。合気道の稽古で、この三元がどういうことなのかを考えてみると、がっちりした体、剛柔な体、柔軟な体となり、またそれをつくるための稽古法である。書道でいう楷書、行書、草書である。書道の稽古とおなじように、合気道の稽古も、先ず楷書のがっしりした稽古をしてがっしりした体をつくり、そして行書、草書へと進んでいかなければならない。

この一霊四魂三元から、八力が生まれるという。つまり、一霊からの四魂と三元がしっかり働けば、八力が出るのである。従って、四つの魂(心、精神、意識)と流、柔、剛の三元の身体を鍛えなければならないということになるだろう。

八力とは「動・静・凝・解・引・弛・合・分」の力と言われるが、つまりは全方向へ出す力と引く力であり、つまり、引力であり、くっつけてしまう力である。合気道で求めている本当の力である。このひっつく力が出れば、その程度に応じた八力が出たことになるし、三元が整い、四魂が働いていることになると言えるのではないだろうか。