【第208回】 技は「天之浮橋」で結んで掛ける

合気道の稽古は、まず相対で受けと取りを交互にやりながら、上達を図って いく。受けで技の形や手順を覚え、自分が技を掛ける取りでも、相手に受けを取ってもらって覚えていくことになる。初めのうちは、相手が受けを取ってくれると、自分の技が効き、上手くなったと思うものである。

相手が素直に受けを取ってくれているうちはいいが、相手の中には頑張ったり、逃げたりする人もいて、だんだん技が掛からなくなってくるものだ。その理由のひとつは、自分に力がついて、相手が容易に受けが取れなくなって頑張るようになることがある。自分が上達したということであり、その上達の代償ともいえよう。

しかし、相手が頑張ると、なんとか相手を倒したり、抑えて受けを取らそうと、ますます力を込めてやるようになるものだ。そして、その為にもっとパワーをつけようと木剣や鍛錬棒を振ったり、腕立てや腹筋運動で体力と筋肉をつけようとすることになる。

力がつけばその分、相手を倒したり抑えるのが容易になることは確かだが、それにも限界がある。そして、力の限界を感じたところが、合気道修行での一つの大きいターニングポイントになるようだ。

稽古を止める者の大半は、力の限界を感じ、この先どう稽古を続けて行けばよいのか分からなくなって、止めて行くのではないだろうか。また、無理に体を遣ったり鍛えることで、体を壊すことも止める大きい理由のようだ。

力に頼って技を掛ける最大の問題は、手や胸・肩などを取りにきたり、打ってきたり、突いてきた相手の手あるいは得物を、押したり引いてしまうことである。すると、争いになるので、合気道の精神に反することになる。それで、相手も無意識のうちに頑張ったり、反発してくるのだろう。稽古相手が頑張るのは、相手が悪いのではない。自分のせいなのである。

技を掛けるにあたっては、相手と接した瞬間から、相手と結ばなければならない。 結ぶというのは、開祖が言われている「天之浮橋」ということであろう。相手との接点に働く力が、押し込んだり押し込まれたりせず、上下左右調和がとれた0(ゼロ)状態ということである。それに力(魄)と心(魂)のバランスもとれていなければならない。出している力(魄)に見合う心(魂)が働いていなければならないということであろう。

開祖は、「合気道は、まず天之浮橋に立たなければならない」と言われている。
天之浮橋に立った状態というのは、例えば、片手取り四方投げで出した手の場合、相手の手を押したり引いたりするのではなく、体幹の一部として腰腹と繋げて長い一本の手として、腰腹で調整しながらくっつけてしまう状態である。手をくっつけることによって、手を通してお互いの体、そして心が結びつき、相手と一つになってしまうのである。相手は宙に浮いたような状態になる。

相手と一つになれば、あとは相手を自分の思うように動かすことができるようになり、技が掛かることになる。初めに結ばなければ、相手は自由に動けるので、技は掛かりにくい。敢えて技を掛けようとすると、パワーでやるしかないことになる。パワーでやるとなれば、相手は頑張るので重くなってしまう。

技は、まず「天之浮橋」で結んで掛けなければならない。