【第191回】 生産び(いくむすび)

人間といわず生物は、息をしなければ生存できない。息をするというのは、空気や水を吸ったり吐いたりして酸素などのエネルギーを取り込み、炭酸ガスなどの不要物を排出することである。エンルギーが切れても、排出物が溜まっても、生存できない。

生物も人間も、自ら息を止めて死ぬことは出来ないだろう。道具を遣わずに、息を止めて死のうと思っても、『金庸』(注:東南アジアで最も読まれた武侠小説)の世界に現れる達人は別として、自ら死ぬまで息を止めることなどできないものだ。息は、出たら入り、入ったら出るようになっているようだ。

息の仕方は、起きている時、寝ている時、動いている時、力仕事をしている時で違うが、無意識のうちに最適な息遣いをしようとしているようである。従って、意識して呼吸するとなると、かえって面喰ってしまうものだ。じっと座ってやる座禅での呼吸などその典型であろう。

技の練磨をする合気道の稽古での息遣いも、通常の無意識を信じて、無意識に任せている人が多いようだ。だから、その結果も通常の人と同じように、ハアハアゼエゼエと息が乱れたり、力が思うように出せないことになるのだろう。開祖が息を弾ませたり、息を切らせたのは、見たことも聞いたことがないし、想像さえできない。名人、達人はどんなに早く激しく動いても、息が切れることなどないようだが、そこには何か息遣いの秘密があるはずである。

正しい息づかい、名人達人の息づかいとは、息が乱れないことの他に、相手に身体を崩されないこと、力が出せることであろう。これまでは、息が乱れないために、動きに合わせて息をするのではなく、息に合わせて体を遣わなければならないといってきたが、その先があるようである。

開祖の『合気真髄』によれば、技を掛けるなどの「自分の仕事」は「生産び(いくむすび)」で行わなければならないといわれている。つまり、開祖は「日本には日本の教えがあります。太古の昔から。それを稽古するのが合気道であります。昔の行者などは生産びといいました。イと吐いて、クと吸って、ムと吐いて、スと吸う。それで全部、自分の仕事をするのです。」と言われているのである。

この「生産び」という息づかいを、「片手取り四方投げ」を例にとって解釈してみると、
 (1)相手に手を掴ませるまでは息をイと吐く
 (2)相手が持ったところから、相手を投げる直前まではクと吸って
 (3)相手を投げる時はムと吐く
 (4)投げ終わったらスと吸う
 さらに、息をイと吐きながら相手に手を掴ませ、(ロ)(ハ)(ニ)と続けるのである。

 この息遣いが続けば、息は乱れないし、相手に崩されることもなく、相手を吸収し結んでしまうことができるというわけである。息遣いにも法則があるようである。

武道の息遣いのポイントはどこで息を吸い、どこで吐くかということになるが、「生産び」を(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の要領で遣うことのようである。
合気道の技の鍛錬の中で「生産び」を身に着け、「生産び」の体をつくり、他の仕事も「生産び」で出来るようになればよいのだろう。