【第190回】 宗教でない宗教

日本は経済的に豊かになると共に、自殺者が増えているという。今では、年間3万人以上が自殺しているそうである。一日100人ほどが、生きようと思えば長らえることが出来るであろう命を自ら絶っていることになる。このモノや金が余っているような時代に、不可解なことである。

作家の司馬遼太郎氏は、将来に自殺が増えることを予言して、昭和46年「無題」に次のように書いている。「とりあえず自殺者がふえるだろう。飢餓との闘いがあったからこそ、人間は生き続けてきた。この条件がなくなったいま、生きることへの執着はかなり希薄になっていくだろう。」

つまり、人間は食えるようになったらなったで、自殺が増えるというのである。自殺をするということは、いろいろな理由はあろうが、根底には生きていても意味がないだろうから死んでしまおう、ということだろう。飢餓と闘っている間は、飢餓を乗り越えることが生きる目標であったわけだが、飢餓打倒という明確な目標がなくなってしまい、何を目標にして生きるのか分からないところへ、世の中も複雑怪奇になり、そこに順応できなくなる人たちが現れて、「生きる目標もないし、生きていてもしようがないから、死んでもいい」と自殺するのではないだろうか。

自殺をしないで生きるためには、とりあえず人間が生きる目標、使命感、信じるもの等を持っていなければならないだろう。生きていく上で、多くの人間を支えているものの一つが、宗教であろう。宗教にいう神との対話で、自分の生き方を見つめ、神の思し召しや導きが生きる道しるべになるようだ。

キリスト教は自殺を禁じているので、自殺者は少ないだろう。しかし、現代の宗教には、他の宗派の人たちを弾圧したり、戦争を引き起こしたりするようなことが見られ、また神の存在や力などを特に若い世代が信じられなくなっているなど、いろいろ問題があるようで、すべての人を満足させるモノにはなっていないようだし、信じきれないのが現状であろう。キリスト教、イスラム教、仏教が世界宗教としてあるが、今日まですべての地球上の民族や人間を信奉させられるような宗教はまだない。

先述の司馬遼太郎氏は、生きる執着を取り戻すために必要なものは「大宗教」である、と述べている。つまり、「いわゆる新興宗教でなく、根本的な新しい文明体系を指向する『大宗教』である」というのである。

合気道は、宗教ではない。だから、異なる宗教をもつ世界中の人が、宗教と関係なく稽古しているわけである。しかし開祖は、合気道は宗教であるとも言われているのである。つまり、開祖は「合気道は宗教にあらずして宗教なのであります」と言われるのである。

「合気道は、あらゆる真理を悉く身につけていくものである。真理とは宇宙の運行であり営みであり、宇宙の法則である。真理を身につけることによって宇宙と一体化し宇宙の生成化育のお手伝いをするのが人の務めであり、人がこの世に出現し生きる意味があるのである。そして人は生き宮となって神(宇宙)の声を聞き、神(宇宙)のために働くのである。これが天命である。」と教わっている。もしこれが多くの人に認められれば、これが新しい「大宗教」ということになり、自殺者も減るのではないだろうか。

この合気道の宗教でない大宗教が、これからの地球人類に大きな影響を与えて、人類を導くようになれば、人類は生きる意味と自分の使命に目覚め、各自が精一杯自分の使命を果たすことになり、自殺などもせず、満足した一生を送れるようになるものと信じている。

現在の日本には、宗教があってもないようなものだが、誰にでも信じるものは必要だ。信じるものがないことが、社会を混乱させる大きな原因ではないかと考える。

日本には、これまでの宗教のあり方に満足できない人や宗教心の希薄な人たちが多いが、宗教心の希薄な日本にはかえって、合気道のような宗教でない宗教がふさわしいように思われる。大宗教というのは、もしかすると宗教心が希薄になった日本に一番最初に根付いて、世界の人たちを先導するのではないかとも考える。