【第151回】  円に十

かって大先生はよく「合気道は魂の学びであります。ちょうど丸に十を書いて三角が四つ寄っております。」「円に十を書く。その十の上に自己の左右の足で立つのである。」と、我々不肖の弟子に教えられていたが、当時の我々仲間のほとんどは理解できないか、関心を持たなかったと思う。しかし今になって、「円(丸)に十」の重要さを感じるとともに、その思想・哲学を有する合気道の奥深さに感嘆する。

「十字」に関しては、以前に何回かにわたって説明した通り、合気道の技は十字に掛けるように出来ているようである。「肘ぎめ」だけでなく、「腰投げ」でも「一〜四教」でも「小手返し」「回転上げ」「天地投げ」でも、十字に技を掛けないと決まりにくいものである。

そのため、合気道の体の遣い方も基本的に十字になる。横に振りやすい手先は縦に、縦に振りやすい前腕は横に、横に振りやすい上腕は縦に遣うようにするのである。足も撞木(しゅもく)とか六方とか言われるように、お互いの足の線は十字に交差していなければならない。膝行でも同じである。

開祖は「十字つまり合気である」とか、合気道を十字道とも言われていたように、十字は合気道の基と言えるほど重要なことであることがわかる。

次に、円(丸)である。合気道で円という言葉が頻繁に出てくることからも、その重要さはわかる。曰く「心を円く体三面に開け」「合気というものは、初め円を描く。円を描くこと、つまり対照力」。また、合気道の技を掛けるとき、中心を初めに動かして、末端の手を円(まる)く遣わないと力が出ないし、相手と一つになれない。また、手で技を掛けるとき、手の支点を中心に接点を円(まる)く遣わないと、相手との接点が切れてしまい、合気にならない。円も、合気道では重要な要素であることがわかる。

しかしながら、円と十字のそれぞれの重要さは分かるが、円と十字には密接な関係があるはずである。文頭にもあるように、「円(丸)に十字を書く」とある。円と十字が独立しているのではなく、円と十字が一つになっているのである。今回は何故、円と十字が一緒なのか、 が何を意味するのか考えてみたいと思う。

手先でも、前腕、上腕でもいいが、前に伸ばして水平(横)に右左に振り、そのまま続けて垂直(縦)に上下に振るを繰り返すと必ず円運動になるはずである。水平だけでも垂直だけでも円はできないが、水平と垂直の十字で円になるのである。つまり十字というのは円であることになる。

開祖は、「高御産巣日・神産巣日神は天(上)と地(下)の(縦の)気の流れを、伊佐那岐・伊佐那美神は横への気の流れを司る。この二つが相まってラセン状に舞い上がり、舞い下がる気の結びが生ずる。」と言われ、ここから合気が生まれるとされる。

また開祖がよく言われていた「まず天之浮橋に立たなければ合気ができない」という意味は、縦横の十字の正しく整った上に立った姿にならなければ、対照力が働かず、合気の円い動きができないということであろう。近年は縦の|でもある魂をあまり大事にしないので、弱い横の一の魄(腕力)が強くなりがちで、十字の姿になかなかなれないのであろう。十字のバランスが取れれば、その縦横の十字が螺旋で円運動をすることになり、技も掛かり易くなるはずである。

合気道では、十字とは円であり、円の中には十字の対照力があるということのようだ。これが 円に十」ということではないだろうか。