【第140回】 三つの鍛錬

世の中の物事は単純ではない。非常に複雑であり、それがさらに絡み合っているので、ますます複雑になり、ちょっと見ると複雑怪奇であるように思えるものだ。本来は、その複雑に絡み合った糸を順序よくときほぐしていけばいいのだが、それでは間に合わないこともあって、ある重要な部分を抽出したり、物事を単純化して、それを理解しようとする。

本来、複雑で奥深く、いろいろなことが絡み合っている合気道でも、部分的な抽出をし、単純化して言葉で現している。例えば、合気の稽古は真善美を探求するもの、気育・知育・徳育・常識の涵養、気形の稽古と鍛錬法、宇宙組織を我が体内に造り上げること等々と、分解して説明されているが、本来はそれらがすべて含まれているはずである。実際には、言葉では完全に言い表すことができないのでそうなるのだろう。逆に、すべてを言葉で完全に表現することは不可能であるからこそ、その一部でも敢えて言葉で表現することに意味がある。

合気道は三つの鍛錬をするものだという。それは「肉体」と「心」と「気」の三つを正しく調和させることである。(『合気真髄』)

先ず、肉体を鍛錬するということは分かりやすいだろう。相対稽古で相手の抵抗する力に屈しないよう稽古をすれば、骨格はしっかりし、筋肉は柔軟性をもち、体の糟(かす)が取れるので肉体は活性化し、鍛えられるわけである。

次に、「心」を鍛えるといことであるが、心とは近代的な表現に変えれば「精神」ということになり、古風な言葉では「魂」と言えるだろう。つまり「肉体」を魄とすれば、心は「魂」であり、この魂魄が表裏一体になっているように、「肉体」と「心」は表裏一対なものである。そしてこの魂魄、肉体と心はバランスが取れていなければならないので、肉体の魄を鍛えれば、心の魂も鍛えなければならないことになる。そして、魂、心が肉体、魄をコントロールするよう、上にくるようになければならないというのである。

しかし、この「肉体」と「心」、「魄」と「魂」を調和させることは容易でないと誰もが感じるように、やはり難しいものである。自分の肉体なのに中々思うように動かないものだ。それでは、どうすればこれらを調和し、一体化できるかということになるが、このことについて開祖は、「気の妙用によって個人の心と肉体を調和し、そして個人と全宇宙の関係を調和するのである。気の妙用が正しく活用されなければ、人間の心も、肉体も不健全になり、世界が乱れ、全宇宙が混乱する。」と言われている。つまり、「肉体」と「心」、「魄」と「魂」を結びつけ、調和させ、コントロールするのが「気」ということになろう。

では、この「気」を鍛えるにはどうすればいいかということになる。その為の一つのヒントは、「合気道は気形の稽古。その最高のものが真剣勝負」((『合気真髄』)にある。つまり気形の稽古を通して気を養うということである。合気道の技を気で描き、技を掛ける相手をあたかも、命が掛かった真剣勝負のように気を張り、満たしながら稽古をせよということだろう。親の敵を討つような真剣勝負の気持ちで稽古をすれば、「気」が養われるということである。この「気」で「肉体」と「心」を一致させ、調和させて稽古するのが、三つの鍛錬ということになるのではないか。

参考文献 『合気真髄』植芝吉祥丸著