【第135回】 合気

合気道とは合気を追求する「合気之道」であることは容易に分かるが、それでは追求すべき「合気」とは何かとなると、なかなか難しい。その為か、たいがいは「合気」が何かが分からなくても、初めの内は合気道の稽古はできるから、知らなくてもいいと思うのか、とりあえずは考えずに稽古を続けるようである。

しかし、本格的に「合気之道」を進もうとすると、どうしても「合気」について研究しなければならなくなる。何故ならば、「合気」は合気道の道の目標であるので、稽古の対象になる目標を明確にしなければ、稽古が正しい方向に進まないことになるからである。

開祖は、「世界中を和と統一で結んでいくのを、叉、これを合気というのです。」叉、「合気は宇宙組織の玉のひびきである。」と言われている。合気道の究極の目標は、世界中そして宇宙と結ぶことである。しかし、一度に世界や宇宙と結ぶ合気をすることは難しいもので、そこへ行くまでにいろいろなものと合気しながら進んでいかなければならないようである。

合気道は、宇宙の生成化育に則った技を練磨して合気を養成していくのだが、培った合気によって、技が上手くいったりいかなかったりする。ということは、「合気」はある意味では技術(テクニック)であるといえよう。この点に関して開祖は、「『合気』というものは相手の防御本能を刺激して、(相手から)本能的な無意識の動きを引き出す技術である。」と言われている。つまり「合気」が優れていればいるほど、相手から無意識の動きを引き出すことができるわけで、技も掛け易くなることになる。まずは相手を引き出して技を効かせる為の技術の一つとして、「合気」を養成練磨しなければならないだろう。

次に、「合気」は「和合」であるということである。開祖は「合気道こそ、宇宙を和合する唯一の道である。」と言われている。つまり「合気」は「和合」でもあるということだ。「和合とは、各々の天命を完成させてあげること、そして完成することです。」(『合気道技法』と言われているから、合気によって先ずは稽古相手、そして人と和合し、共に天命を完成していくことである。

合気が、前述のように術の面があるとすれば、合気である和合も術となる。和合とは相手と一つになることで、引くのではなく、引っ付けしまうことである。合気道は引力の養成であるともいわれるから、合気は引力であるともいえよう。晩年の開祖は、すべて合気の引力で引っ付けて、相手の自由を奪ってしまっていたように思う。

「合気」は「愛気」でもあるという。前述のように、合気道は宇宙の営みを技にしたものであり、宇宙は「愛」で満ちているので、合気も「愛」に満ちていなければならない。開祖は、「至仁至愛の一大気の運化をもって合気の起源となす。ゆえに至仁至愛、万有愛護の大精神をもって合気と名づくる。」という。だから合気道を愛気道ともいうのだろう。「合気」は「愛」でなければいけない。

「合気」は、結ぶという術的な面から精神的な面での愛、究極的な目標である宇宙との結び等、多極面的で、様々の意味があるようである。

参考文献:
 『合気真髄』  (植芝吉祥丸著 八幡書店)
 『合気道技法』 (植芝吉祥丸著 光和堂)
 『合気道』   (植芝吉祥丸著 光和堂)