【第129回】 ロマンを求めて 〜 情報より自分を信じて

現代はIT社会とも言われるように、情報が氾濫し、情報に翻弄されている社会といえるだろう。新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、メール、携帯電話、または街の至るところで目に付く看板、それに最近では電車の中でも広告やニュースが流れてくる。どこにいても、目を開けていれば否でも情報が入ってくる。

現代人は情報を沢山持てばいいと思って、情報を入手したり、収集するのに躍起になっており、情報を持つと安心するようである。情報に振り回されているといってよいだろう。情報に頼るということは、裏を返せば自分自身を信用していないということになるだろう。だが、情報だけでは何もできない。情報に頼ったり、振り回されていては、いい仕事もできない。

合気道に入門してくる最近の若者は、インターネットや書籍などで、合気道、柔道、空手、剣道、中国武術などなどを調べてから、合気道とはこういうものだと判ったつもりで入ってくる。何年か経つと初段を取って袴をはくが、袴をはくと合気道が分かったようになり、二段、三段になるとそれに従って上達したと思う。始めがあって終わりがある、因果関係の水平思考である。しかし、情報だけでは本当のものは創造されないし、成功には繋げられないだろう。また、情報に頼り過ぎると、世の中のものはすべて因果関係にあると思い込む危険性がある。問題は必ず解けるものと思ったり、解答はあるものと信じてしまう。物事は、本に書いてあったり、他人が言うようには、上手く行かないはずである。

物事を因果関係で捉え、分かったつもりでやっても、上手くいかないだけでなく、面白くもない。実際に合気道を稽古していけば、自分の合気道がどうなるのか、自分がどう変わるのか、分からないものだ。1年稽古してこういうことができ、2年でこう、・・・10年でこう、60年で達人、70年で名人になって合気道がすべて分かって、開眼する、などということではない。

稽古を何年も続けていれば、少しずつ変わってくることは確かである。これを一般的には上達といえるだろうが、後退する場合だってある。道を外れた稽古をすれば、稽古をすればするほど道から反れていくわけだから、後退である。また進歩する度合いも、その人自身がどれだけ一生懸命稽古するか、体力や才能の程度、それに教わる師や稽古を一緒にする仲間などによっても変わってくる。

今の人は、学校教育や情報社会の影響で「正解がある」と信じ、「正解がない」と不安であり、「正解がない」というだけでパニックになってしまう傾向にあるのではないか。しかし、世の中には、これが絶対の正解などというものはそう多くはない。正解がある場合でも、いくつも正解があったり、正解が時と場合で変わったりもする。

先に何があるかは分からない。一寸先は闇である。だから、面白い。合気道の修行をどうすればよいのかという正解はない。そのための情報をいくら集めても、解答は得られない。水平思考で予測できるような単純なものではない。もし合気道を50年修行すれば、誰でも名人になれるということが決まっていれば、合気道を修行してもつまらない。

稽古を続けて、先に何があるのか分からないから、面白いのである。壁にぶち当たりながら、その先が見えずに悩んでいると、突然その壁が崩れる。新しい発見があり、それまでの問題が解決される。そして、また新しい壁が立ち塞がるという連続であり、壁への挑戦と同時に、壁の向こうに何があるのかが、楽しみなのである。そこには、今まで知らなかった世界が我々を待っている。それこそ、いつもいっているようなロマンというものではないだろうか。合気道はロマンでなければならないだろう。

参考文献 『死の壁』 養老孟司