【第114回】 武産合気への道

開祖は「宇宙と結ばれる武を武産の武というのである。」「宇宙の経綸にあった武の技を生むのが合気の使命なのである。」と言われている。(合気道新聞 No.68)従って、合気道の修行の最終段階は武産合気ということになる。

しかしながら、初めから武産合気はできない。晩年の開祖は、武産合気をやられていたが、開祖の真似をして気形の稽古や、神楽舞などをやるのを開祖に見つかると、すごく叱られたものだった。当時は開祖がやることをやろうとして、なぜ怒られなければならないのか分からなかったし、誰にもその理由を説明することが出来なかったのではないかと思う。今思えば、武産合気に入る前に、やるべきことがあり、開祖が怒られたのは、そのやるべきことをやらずに武産合気をやろうとしても、できるわけがないから、まずはやるべきことをきちっとやれということだったと思う。

合気道に入門すると、先ず誰でも技を覚えようとするだろう。基本の技が分からなければ稽古にならないから、覚えることに一生懸命になるし、また覚えなければならないものだ。まずは、技を覚えることが大切ということである。

次には、技を練習する時には主に受身によって覚える訳だから、受身に耐えられる体をつくらなければならないだろう。例えば、手首は弱い箇所なので、誰でもはじめは二教裏の手首廻しをかけられると激痛を味わうものである。二教を掛けられても平気な手首にならなければならない。三教、四教でも、四方投げでも、平気で受けが取れる体をつくることが必要である。

技を覚えて、体がしっかりしてくると、今度は自分が技を掛けることになる。覚えた技の形を、しっかりした体で相手に掛けなければならない。上手くいく時もあるだろうが、この時点では技を上手く掛けるのは難しい。何故ならば、この時点では、「手さばき」で技を掛けているからである。初心者の多くは、この段階での稽古をやっているのだとも言える。この段階から抜け出すのは容易ではない。この段階の稽古は、いわゆる腕力でやることになるので、自分より体力や腕力のある人とやると、上手く技が掛からない。腕力、体力をつけようと筋トレをしたり、鉄棒を振ったりしても、上手くいかないばかりか、肩を痛めてしまったりする。ここで多くの人が挫折することになるようである。

腕力に対抗しながら稽古を続けていると、「手さばき」でやっていることに無理があることが分かってくる。そして、足を使えば技が掛かり易いことに気づく。腕力より強い力、自分の体重と地の力(抗力)を使えばよいのだ。また、相手と触れた接点である支点を動かすのは合気道ではタブーで、手を無闇に動かすことができないとなると、足を使わざるを得なくなる。

しかし、足を遣う、所謂「足さばき」も容易ではないのである。合気道の元である柔術が出来た時代とは生活様式が変わってきているので、歩き方や手足の遣い方も違っている。今は、意識して「足さばき」などの足の使い方を矯正し訓練しなければならない。これは、道場だけでの稽古では間に合わない。

足で技が掛かるようになれば、今度は足と手を連動し、それを陰陽に使うようにすることである。手と足は、同じ側が陽として前に出て働き、そして、共に陰と変わる。これが出来るようになると、体が陰陽で自由に動けるようになり、大きな力が出るようになり、相手を弾き飛ばすこともできるようになる。

合気道は相手と合気し、一つに結び合わなければならない。つまり、相手を弾き飛ばすのではなく、相手と合気し、くっつけて一つになることである。そのためには、呼吸が重要である。動きを呼吸に合わせるのである。最後に投げたり、決めるまでは息を吸い(腹に息を入れ)、投げたり、決める瞬間に息を吐く。そういう息づかい(呼吸)が、体に柔軟性と粘着性をもたらし、投げや決めのための爆発力をつくる。自然であるために、息切れしないし、疲れなくするのだ。

これで、合気の体が一応できたことになるはずである。さらに質を少しでも高めるためには、原点に戻って技を研究したり、体を鍛えたりを繰り返すことが常に必要であろう。

ここまでは稽古相手、人間を対象にして稽古を進める合気道であり、人と合気する稽古であろう。これまでのことが出来るようになれば、いよいよ武産合気の修行に入れることになるのではないだろうか。天之浮橋に立ち、宇宙の入り口に入り込み、宇宙のひびきを感じ取り、宇宙の生成化成に従い、宇宙と合気する稽古に入れるのではないか。開祖は「五体のひびきによって生きた技は、宇宙のひびきと緒結びして、千変万化の技を生み出しているのであるが、これが科学しながら生み出した技である。」と言われている。(同上)

そのためには、宇宙の法則を一つ一つ見つけ、それを技に表すことが、武産合気ということではないか。つまり、合気道は人間相手、武産合気は宇宙相手の合気の修行ということになるだろう。開祖が神楽舞を舞われたのは、宇宙の動き、宇宙の気持ちを神楽舞で表されたことになる。

開祖は常々「まず天之浮橋に立たなければならない」と言われていた。天之浮橋は宇宙と結びつき、宇宙に入る入り口と言えよう。ここが、顕界から神界への入り口の幽界であろう。天之浮橋は十字であり、横━のイザナギ、イザナミ命が、縦|の高御産巣日神、神産巣日神にむすび、螺旋で上昇下降し、一元のカミに繋がるという。まずはこの入り口、天之浮橋に立つことであろう。そこからどこまで宇宙に深く接することができ、それをどれだけ武産合気の技に表すことが出来るかは、これからの修行次第である。まだまだ先は遠い。