【第5回】 穢れと禊(けがれとみそぎ)

仕事をすると、どうしても疲れるものである。頭痛や目の痛みを感じたり、頭がぼうっとしたり、肩が凝ったりといろいろな症状があるが、たいていは年を取れば一層ひどくなる。

対策としては飲酒や入浴、睡眠などがあるが、それでも取れないとドリンク剤や薬に頼り、時には医者に行くケースもあるだろう。気分転換にスポーツをしたり、スポーツセンターでフィットネスに通う人もいる。

最近、温泉がブームであるが、日本人は昔から温泉と親しんできた。農民は取入れが終わると、温泉に逗留して疲れを癒し、翌年の活力を補充した。外国に長くいると、この日本の温泉が非常に恋しくなるが、おそらく日本人に共通する心理ではないかと思う。

疲れがたまるのは、身の穢れとも考えられる。穢れとは、生きるエネルギーの素である"気"が"枯れる"ということである。従って疲れを直すには、気を補充すればいいということになる。 合気道の道場とは、気を補充してくれる貴重な場である。道場では気が補充されるので、疲れがとれて元気になれる有難い場なのである。このように気を与えてくれる場所は、道場以外にもいろいろある。山や林や森、海辺などの自然や神社・仏閣などである。多くのひとがそのような場所に魅かれるのは、無意識のうちにそこに" 気"があることを感じていて、そこに行けば気持ちよくなることを知っているからである。

最近見かけるのは、仕事による疲れだけではない。定年退職して家にいる時間が増えた人や、家で長時間を過ごす主婦も、気が枯れて"穢れる"ことが多い。社会が複雑になり、問題がミクロ化とグローバル化して簡単に処理できなくなっているため、精神的な負担は大きくなっている。さらに、身の回りに自然が少なくなり、人工的なものに囲まれる生活になっているので、自然が出す気を得ることができないばかりか、逆に気を吸収されてしまい、ますます疲れがひどくなる。新建材などの人工材ばかりの建物では気が奪われ、目がチカチカしたり、疲れが出たりするようだ。土地の有効利用という名目で、昨今では家は建てても庭を造らず、仏間や廊下も省かれてしまった。庭や仏間、廊下などは、気を得るための大事な場所であったはずだ。同じことは街の中でもいえる。神社や公園の緑が少なくなっているので、気を得る場所はますます減少している。

道場でも自然の中でも穢れを取り除き、気を補充することができるわけだが、道場の禊には大きい違いがある。稽古で動き回って、体を練り、汗をかくことで、体の老廃物が出て、体がきれいになるのである。これが" 禊"となる。つまり、道場とは穢れをとり、禊をする場である。合気道の開祖、植芝盛平翁も「合気道は禊である」とよく言われていた。

道場とは、スポーツの体育館とは違って、穢れを癒し、禊をする場であるが、そのことを自覚し、気持ちを引き締めて出入りしたり、稽古をしなければならない。俗世界の事柄を引きずらないように、道場に入るときは厳粛な気持ちで"儀式"(床の間や、神棚に礼)を行い、別世界に入るのである。出るときはこの世界から俗世界にもどる儀式の礼をして普段の生活に帰る。そうすることによって気が補充され、穢れが癒され、体のカスもとれ、煩悩からも離れて禊ができるのである。穢れと禊を意識して実行してもらいたいものである。